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無差別殺人犯・宅間守が獄中結婚していた理由とは?児童殺傷事件

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2001年6月8日、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した無差別殺傷事件です。

同校に侵入し、児童8人を出刃包丁で刺殺、児童13人、教職員2人が重軽傷を負いました。

事件の犯人は宅間守

池田小事件「宅間守の遺体」と一夜を過ごした妻(写真2) | デイリー新潮

宅間守はその場で教諭たちに取り押さえられ、現行犯逮捕されました。

また、最後の一人を刺し終えた瞬間に「あーしんど!」とつぶやいたそうです。

宅間は3度の離婚経験があり、3人目の元妻に復縁を試みていたが、うまくいかず、勝手に恨みを募らせていたのです。また借金も300万以上あり家賃も払わなければならず、自身の将来に絶望しか感じられず、だからといって、自殺もできずにいました。

そこで「自殺しても元妻らが喜ぶだけだ。あほらしい」「大量に人を殺害すれば、元妻は自分と知り合ったことを後悔するだろうし、世間の多くの人も絶望的な苦しみを味わうだろう」と考え、小学生を襲うのが一番簡単だと考え、小さい頃に憧れて同時に嫉ましくも思っていた、エリート校の附属池田小を襲うことに決めたといいいます。

兵庫県伊丹市の工員家庭の家に生まれました。母親は、宅間守を身ごもった際に、父親に「あかんわ、これ、堕ろしたいねん私。あかんねん絶対」などと語っていたことがあったそうで、母親は、何かこの時に感じとっていたのかも知れませんね。また、生まれたあとも母乳をあげることも嫌がり、ネグレクト状態だったそうです。

また、父親は家に生活費を入れないばかりか酒ばかり飲み、家族全員に激しい暴力をふるうことがあり、宅間守自身も虐待を受けていたそうです。

幼少期から問題行動を起こしていました

  • 三輪車で国道の中央を走り渋滞を引き起こした
  • 大きい石を投げて相手にケガをさせた
  • 走っている電車に石を投げる、線路に石を置く悪質な列車妨害
  • 弱いものイジメや暴力
  • 犬や猫などを新聞紙に包み火をつけて殺害
  • 好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた

高校は2回中退し、18歳のときに憧れのパイロットになる為に航空自衛隊に入隊したが、視力が悪いために、航空機整備に配属されました。1年強で除隊処分を受けています。除隊の理由について、「家出した少女を下宿させ、性交渉した」そうです。

その後は、様々な仕事を転々とします。そのほとんどは数週間から半年で退職して長続きしていません。

精神的に荒れ、家族に暴力をふるったり、傷害、暴行などに走り、高速道路を逆走するなどの非行行為を行うようになります。

1984年マンション管理会社に勤務していた時には、家賃の集金と称し女性の部屋に上がり込み、顔面を数回殴りつけ、首を絞めるなどして強姦する事件を起こしています。事件後に精神科を受診、閉鎖病棟へ入院するが、入院生活に不満を感じた宅間は5階から飛び降り重症を負います。

この件に関して母親に宛てた手紙に宅間は、入院したのは警察から強姦事件で追及されるのを回避するためで、5階から飛び降りたのは「親に嫌がらせをするため」であったと書いています。

退院後も、通り魔的な傷害や器物損害などを日常的に繰り返していました。

この強姦事件で宅間は、懲役3年の実刑が確定し服役しました。

出所後は、父親に勘当されます。

30歳の時には非常勤の地方公務員になり、市営バスの運転手やごみ収集、用務員を務めていたが、市営バスの運転を務めている最中に乗客の女性に「香水のにおいがくさい」ことを理由に女性の顔につばを吐きかけたうえに、言いがかりをつけてトラブルを起こし懲戒解雇されています。

また、その翌年には池尻小学校の用務員を務めていた宅間は、小学校教諭らが飲む茶に精神安定剤を混入させる事件を起こし逮捕されましたが、精神分裂病との診断もあり刑事処分は受けず、不起訴処分になりました。

池田小学校児童殺傷事件の前には、民家に忍び込んだとして住居侵入容疑で逮捕されたことや、暴行・器物破損容疑で書類送検もされています。

・1990年 6月 (1回目)

19歳年上の女性と知り合い泌尿器科の医師であると嘘をついて接近し、肉体関係を結んだのち                 6月14日に強引に結婚するも医師でないことがばれて、26日には離婚

・1990年10月(2回目)

19歳年上の女生と結婚、1993年に強姦事件を起こしたりしたため、翌1994年に離婚

・1995年11月(財産目当ての養子縁組)

バス運転手をしていて知り合った44歳年上の女性と財産目当ての養子縁組をしたが、宅間が暴力を振るい金を取るなどしたために1997年に協議離縁

・1996年12月(3回目)

お見合いパーティーで2歳年上の女性と知り合って、離婚歴を隠した上で執拗に結婚を迫った。この女性は乗り気ではなかったが、「結婚しなければ、お前を殺して私も死ぬ」などと言われたり、実家の住所を調べ上げられたりしていたため、周囲への迷惑を考えて1997年3月に結婚します。しかし妻は、宅間の粗暴な振る舞いや暴力を受けたり、周囲とトラブルを起こしたりとか財産目当ての養子縁組の件を知ったため、離婚。

・1998年10月(4回目)

お見合いパーティーで3歳年下の女性と知り合い、その後結婚したが、1999年に薬物混入事件を起こしたため、離婚

・2003年12月(5回目)

5回目の結婚は死刑確定者となってから、支援者の女性(死刑廃止論者)30代と獄中結婚

裁判

宅間守は2003年8月23日大阪地裁にて死刑判決を言い渡されました。自ら控訴を取り下げ、死刑が確定します。

公判では、初公判では「池田小に入って殺傷したことに間違いありません」と全面的に認め、「自らの命をもって償いたい」とこの時のみ謝罪を口にしています。

その他の公判ではひどいものでした。

  • 口笛を吹きながら入廷した
  • 検察側が起訴朗読を始めた際「座っちゃあかんか?」発言、裁判長に「立っ聞きなさい」と、また座った際には「足を組むのを止めなさい」注意される
  • 「こんな結果のわかっとる、おもろない裁判に、ひまな奴らがようけ来てあほやのぉ」
  • 「反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ」
  • 「100人でも1000人でも同じだった。関係のない子どもより、3番目の妻を殺した方が満足だったかもしれない」
  • 「当時、父親を殺していれば、もっと違う人生があった。懲役に行かずに済んだ」
  • 「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」
  • 「償うとか関係ない。現実的に死刑しかないと思ったからそう言っただけ。謝罪する気持ちもない」
  • 「人間なんて一瞬で死ぬんやで!。ワシの人生の幕引きの道連れに、 ガキが死んだだけや!、そやからワシには反省や申し訳ない気持ちはないし、 後悔もない!」
  • 「わしが8人を死刑にすんのに10分かかっとらんのに、わし一人の死刑に2年近くかかって随分、ご丁寧な事やのー!!」

そして、最後の裁判長の「主文を言い渡します」という発言を遮るように、「最後にちょっと言わせてえな」と叫んだそうです。

裁判長は宅間の発言を認めませんでしたが、宅間は叫び続けたそうです。

  • 「どうも死刑にしてくれて、ありがとう裁判長さん。感謝するわ!わし、死にたい思うてたから、ほんま助かる。やっと死ねるんやなーと思うとほっとしたわ、今のは、誹謗とか批判ではのうて、純粋のワシの心から出た ほんまの気持ち。わかってもらわんでもええ。言いたい事はまだある。それは、殺してしもーた子供達にや!」
  • 「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから
    感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!!でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」
  • 「おい、くそガキの親!おまえらのガキの8人分の命はワシ一人を殺して終わりの程度の
    価値やったんやぞ!エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや!
    ガキどもが死んだ原因はおまえらあるんや!せいぜい一生反省せいよ!
    あの世でもおまえらの子供しばき倒したるからな!あははははは!あははは!こらおもろい!」

宅間守は刑務官に連れられて、退廷し、宅間守がいない中、死刑判決が言い渡されました。

死刑廃止論者であり、支援者の一人として、弁護人を介して宅間に手紙を送っていたAさんは、途中から純粋な支援が愛情的なものに変わっていったそうです。また、死刑囚は原則として弁護士か家族しか接見や文通が許可されないため、婚姻を決意したようです。

宅間と結婚した理由は、Aさんによると「宅間さんに贖罪の気持ちを持たせて、彼の魂を救済したいから」だったそうです。

刑務所

2003年8月に死刑確定してから、宅間は早くの処刑を望んでおり、約1年後の2004年9月に異例の速さで大阪拘置所にて死刑執行されました。

執行当日の朝食は摂取することが許されなかったが、宅間は執行直前に刑務官から受け取った煙草とリンゴジュースをゆっくり味わってから終始取り乱すことなく死刑台に消えていったそうです。

また、担当した刑務官に最後に伝えた言葉は「ありがとうって、僕が言ってたって伝えてください」と妻へのメッセージで、最後まで事件への謝罪はなかったそうです。

妻は死刑執行後に遺族へ向けメッセージ

私は夫に代わり、被害者、遺族の皆様方の前に参上致し、心からのおわびを申し上げなければならないところですが、死刑囚と婚姻したという、非常識とも取られてしまうような立場である私のような者が、いまだ心の深い傷が癒えぬままでおられるであろうご遺族の皆様方の前に参上するのは、更にお心の傷を抉(えぐ)ってしまうばかりかとも思い、(中略)夫の犯した大罪は、決して許されることではないとは知りつつも、けれど、もう少し、あと少し、彼と対話を続ける時間が欲しかったと悔やまれてなりません。本人から贖罪の意識を引き出せないままに終わってしまったことに、今は心からの慚愧(ざんき)の念に堪えません。本当に申し訳ありません

まとめ

宅間守は幼少期から事件を起こすまで、悪いことをしていない時を探すのが苦労するくらいにずっと悪事を繰り返していたように思います。

また、幾度となく精神科に通い、診断を受けていますが、果たして本当に精神の病はあったのでしょうか?逮捕されても精神疾患があると起訴されないことを知っていてのことで装っていたようにも感じます。

これだけ繰り返し犯罪を犯していたので、どこかで止めることができたら、池田小の事件はなかったのかな?なんて思ってしまったりも。

罪のない子供たちが無残に命を奪われ、本当だったら今頃は社会に貢献していたかも知れません。

なお、未だ当時の傷跡を引きずっておられる方もおります。御遺族の方はその傷が癒えることはありません。

それだけ、許されない、忘れてはいけない事件だと思います。





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この記事を書いた人

いらっしゃいませ!Strange商店へ
私は50代の主婦です。
気になっているトレンドや人や事象、商品を紹介しています。
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まいど!

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