松永太の生い立ち
昭和36年4月28日生まれ
北九州市小倉北区 畳屋を営む両親の長男
7歳の頃に、父親が家業の布団販売業を引き継ぐために、実家のある柳川氏に転居
公立小学校の成績はオール5 中学では弁論大会に出場して優勝するなど、優秀
中学時代の担任の供述調書では「目立ちたがりでワンマン、リーダー的存在。周囲に有無を言わせず、声が大きく威圧的」と当時から悪への片鱗がちらついていたように思います。
高校は緒方と一緒の県立高校に進学。
高校卒業後に入社した会社は10日ほどで退職し、家業を継ぐ。
19歳で最初の結婚をし、長男がいる。
話の饒舌さや容姿も優れていたため、複数の女性と不倫関係にあったと言われています。また、その中に、事件んの共犯の緒方も含まれていました。
夫の不貞を最初は容認していたが、後に離婚します。
松永太の裁判
第一審・福岡地裁小倉支部
・2002年の6月から裁判は始まりました。
監禁致死罪のみだったのですが、殺人容疑での再逮捕となり、公判日が延期されました。第3回公判から殺人罪の審理も開始されます。
この裁判は、「最後まで松永という男を見届けたい」との緒方の希望もあり、緒方、松永の併合審理でした。
緒方は、H氏と父親に関しては障害致死を主張し、他5人の殺害に関して認めました。
松永に関しては、全面無罪を主張しました。
・2005年論告求刑公判 松永、緒方両名死刑を求刑
・2005年4月 緒方の弁護人による最終弁論
・2005年5月 2回に分けて松永の弁護人による最終弁論
・2005年9月 判決公判 松永、緒方ともに死刑の判決
控訴審・福岡高裁
・2007年9月控訴審判決
松永は死刑判決控訴棄却
緒方は死刑判決を破棄し、無期懲役判決を言い渡された。
緒方は、通電などの虐待が被害者の人格に影響を与えていたことを考慮され、松永に暴力支配を受けており従属的だったことと、捜査段階での自白や後半での態度と反省が考慮されました。ここで緒方は上告せずに無期懲役が決まりました。
上告審・最高裁第一小法廷
松永は上告し、無罪を訴えた。
2011年11月に上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護側は、「Mは、一連の犯行に関与していない」として、無罪を主張しました。
検察側は「松永は、緒方に暴行を繰り返し、言いなりになるよう仕向けた上で、自らの手を汚すことなく、全ての犯行を緒方らに実行させた。緒方は度重なる暴行により、逆らう事はできない。緒方と違い改悛の情は全くなく、それゆえ遺族らの処罰感情も峻烈だ。緒方より罪が重いことは明らかであり原判決は正当」として上告を棄却するよう求めた。
12月12日一審・二審の判決を支持され、松永の死刑は確定しました。
松永の語ったこと
松永は供述調書にてこんな事を人生のポリシーとして語っていました。
「私はこれまでに起こったことは全て、他人のせいにしてきました。私自身は手を下さないのです。なぜなら、決断をすると責任を取らされます。仮に計画がうまくいっても、成功というものは長続きするものではありません。私の人生のポリシーに『自分が責任を取らされる』というのはないのです。(中略)私は提案と助言だけをして、旨味を食い尽くしてきました。責任を問われる事態になっても私は決断をしていないので責任を取らされないですし、もし取らされそうになったらトンズラすればいいのです。常に展開に応じて起承転結を考えていました。『人を使うことで責任を取らなくていい』ので一石二鳥なんです。 引用:消された一家 北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫 新潮文庫) [ 豊田 正義 ]
また、裁判にて裁判官が、緒方家に対してどういう気持ちを抱いているか?との問いに「哀悼の意を表しますが、自分が住む場所で殺害され、大変迷惑をしております!」と言い放ちました。
詐欺や虐待、反社会的行為については認めるも、殺人については絶対に認めなかったのです。
松永の手法
・対象者に近づき、言葉巧みに信用させ、相手の弱みを握る
・その弱みに付け込み金銭の要求をする。
・弱みに付け込み様々な虐待・暴力を行う。
松永の現在
福岡拘置所に死刑囚として現在も収監されています。まだ死刑執行はされていません。
松永と緒方の長男によると、死刑判決が決まった後に接見した時の際には「署名を集めてこい」だとか、「自分は悪いことをしていない、死刑判決を反対してほしい」と。息子への謝罪もなかったとのことです。
また、現在は糖尿病の悪化によりほとんど目が見えないそうです。
まとめ
松永の答えた言葉が色々と衝撃的で今もなお反省の色は見せていないところが、非常に怖いですね。
緒方と、H氏の娘の後半の供述がほぼ一致しているにもかかわらず、自分の良いほうへ饒舌に語り、反省すらしていないのです。
本当に、逮捕されて良かったと思われる人物です。
このまま、逮捕さえなければ、また、第二、第三と犯行を重ねていったかも知れません。