高齢者の孤独死の原因は?
他人事ってはっきり言って思っていました。
仲の良い家族にはあまり訪れることではないのであろう。
うちは家族バラバラになっていました。
連絡も取っていない。どこで何をしているのかも分からない。
納得、そりゃあ孤独死起きても仕方ない環境だったよね。
大体の原因は家族と疎遠になり誰とも連絡をしていない場合がほとんどです。
父親の孤独死
正月明け、数日経った昼間に妹からのメール
「父さん 亡くなったって」
最初は意味が分からなかった。だってどこにいるのか何しているのかも分からなかったし、20数年会っていない。
妹にすぐに電話をした。
父さんの身元から戸籍をたどり、母親に警察から連絡があり発覚した。
父親が住んでいたアパートの大家さんが、家賃の振り込みがなく、電気メーターは動いているがポストには手紙がたまっているために警察を呼んで部屋に入ったところ亡くなっていたのを発見されたのです。
父親と離れた理由
中小企業の社長であった父親は当時はバブル真っ只中、黙っていても仕事が舞い込んでくる状況にあり、当然お金も入ってきた。お金があるときは幸せ一家よ。
そうこうしている間にバブル崩壊、中小企業には厳しい時代がやってきた。父親は特段何もせず、そりゃ会社も傾いてくるわけで。少しずつ借金を重ねていくようにになっていく。
私も当時の父親の借金がいくらあったのかも知らないが、想像するに億はあったのではなかろうかと思う。
おばあちゃんの持っていた土地を勝手に売ったりして金を作ったり、私に借金の保証人になれと言ったりもうひどかった。この時点で自転車操業であったのだろう。
母親との喧嘩が絶えず、借金の取り立て電話も多くなり、母親が精神を病むように。
「この家を出ていきたい」母親が言った。
新しい賃貸物件を探し、荷物を少しずつ父親に気づかれないようにまとめて、出ていく日を決めた。
そして父親が出かけてる間に私たちは出ていった。
その後両親は離婚
会社を廃業させ、東京都内の自宅を売り、全ての借金返済に充てた。残ったお金は数百万にも満たなかったそう。
両親は正式に離婚した。
その後は父親が、どこで働き、どんな暮らしをしていたのかは不明。
父親死亡後
本当は、母親も離婚しているし、放棄できたはずなんでしょうけど、それではいくらなんでも可哀想だという意識があったのだろう。
父親の姉さんと母親は所轄の警察に行き、父親の身元確認をしたが、直接ではなく写真での確認だった。遺体は腐敗していたため、直接の確認はできなかったそう。母親によると、遺体の写真を見せられたそうだが、ベッドの上であおむけに倒れており、真っ黒でいて、両手は胸の上で搔きむしるような状態のまま固まっていた。ですが、本人と確認できないくらいの状態だった。
部屋の状態はあたりにオムツのゴミの山と、焼酎のボトルがゴロゴロあった。よっぽど具合が悪かったのだろうね。オムツをしなきゃいけないくらいお腹の状態が良くなかったのだろう。
周りの持ち物から、うちの父親に間違いはないが、DNA鑑定をおこない判定待ちになる。
司法解剖の結果はアルコール性肝炎にての死亡。発見された部屋は当時、冬で部屋は暖房がかかっており、遺体は腐敗していたものの乾燥していたらしく、死亡日は特定できず。
これからやる事・お金の問題
他の家庭では違うかもしれません。私たちがおこなった手続きやかかった金額が少しでも参考になればとおもいます。
警察よりもらった死亡診断書(死体検案書)はコピーをして手続きに何回か必要でした。
- 遺体の保管
- 火葬
- 父親が住んでいた部屋の処理
- 銀行手続き
- 年金・保険証手続き
- 携帯解約手続き
- 戒名
- 墓の納骨
1.遺体の保管
いつまでも、警察に置いておくわけにはいかないため、葬儀場の保管場へ遺体を安置。DNA鑑定が出るまでは何もできないために預ける。私はここで初めて父親の遺体と対面するが、腐敗がひどいため、棺桶の窓は開けないで下さいと言われ顔は見ていない。
1日5千円ほどかかっており、10日ほど安置しました。
2.火葬
死亡届は7日以内に役所に提出
「死亡届」に必要事項を記入して、「火葬許可申請書」とともに役所に提出しました。これらの書類と引き換えに役所から「火葬許可証」が交付された。
DNA鑑定後、本人と確認、葬儀はおこなわなかった。火葬場に手続きをし、火葬当日に葬儀場の保管場にて、寺の僧侶にお経をお願いし火葬へ向かった。
僧侶に心付け
火葬料・骨壺・骨納袋
20万ほどかかる
3.父親が住んでいた部屋の処理
これは、住んでいたところの大家さんにもよると思います。幸い父親はベッドに倒れていたため、床などの損傷はなかったので、荷物の片づけと、臭いの問題の片づけとなる。特殊清掃に依頼をして全て片付けてもらいました。
母親が手続きをしたため、なにがどうなったかわからないが、形見となるものは全く無く、すべて処分されたそうです。
手元に残ったのは、携帯電話と預金通帳のみでした。
特殊清掃代25万
4.銀行手続き
父親の預金通帳でお金が入っていたのは年金受給していた銀行1件のみであり、その金額もわずかなものであった。きっと具合が悪くても病院へ行くお金もなかったのであろうと推測が簡単にできるくらいの金額だった。
いろいろかかっている費用の足しにするためにも、銀行に解約手続きをしに行く。この時も死亡診断書のコピーが必要です。解約の際、「遺産相続で揉めませんか?」と聞かれたが、多分に少量の額面でも銀行員は聞かなくてはならないのだろう。
5.年金、保険手続き
年金事務所に連絡をし、詳細を話す。後に書類が送られてきてその書類に必要事項を記入し、死亡診断書のコピーと一緒に提出する。また役所にて健康保険の資格喪失届を提出する。
6.携帯電話の解約
これは、妹が連絡をしてくれたが解約直前まではいくら死亡していたとしても料金は発生するらしく、解約までの発生した料金は支払うことになった。
7.戒名
父親のおじいちゃんは非常にしっかりしていた方だった。墓も準備をしていたため、父親の入る墓はあった。ただ、父親は墓守をちゃんとしていなかったのです。なので、戒名をつけてもらう際に、非常に短い戒名となった。
墓石に名前を刻んでもらうよう頼み、あとは納骨を待つのみになりました。
戒名・墓石刻印代10万ほど
8.納骨
父親には4人兄弟がいました。みなご存命。納骨には兄弟みな来てくれて、納骨の際の支払いは兄弟でしてくれました。なので、詳しい金額はわかりません。
納骨後、みなで食事をしましたが、みな、父親の悪口大会で少し切なかった。全部悪いのは父親なのはわかってはいるのですが、私はその父親から生まれてきている。幼少の頃の思い出は悪くなかった。いいところもあった。私たちのために、色々なところへ連れて行ってくれた。無口で不器用だったけど、おちゃめなところもあったんだよ。と心の中で思いながら親戚に「うちの父親がすいませんでした」と謝り続けた。
普通の手続き
孤独死での手続きは発見されてからになりますが、病院などで亡くなられた際には以下の手続きです。
- 死亡診断書・死体検案書(自宅にて亡くなった場合)の受け取り
- 死亡届の提出・火葬許可証の受け取り(7日以内)
- 訃報の連絡
- 葬儀の手続き
- 年金受給停止(10~14日以内)
- 健康保険の資格喪失届(5~14日以内)
- 介護保険資格喪失届(14日以内)
- 住民票の世帯主変更届(14日以内)
- 雇用保険受給資格者証の返還(1カ月以内)
- 国民年金の死亡一時金請求(2年以内)
- 埋葬料請求(2年以内)
- 葬祭費(2年以内)
- 高額医療費の還付申請(2年以内)
- 遺族年金の請求(5年以内)
- 故人の未支給年金の請求(5年以内)
家族であれば、一時金など受け取れるお金もあります。うちは、みな結婚し家庭を個々に持ち、母とは離婚していたために何も受給することはできませんでした。そんなにみんな余裕のある生活をしていたわけではないので、父親が亡くなったと聞いたときは、はたしていくらかかるのかお金の不安は尽きませんでした。
父親の残したお金から差し引いても30万ほどマイナスであり、私たちは3姉妹で、母親はお金が無いため約10万づつ出し合った。
おおよそですが、100万はかかると思っていたほうがよさそうです。
お金がある方は、何にも問題はないのかもしれませんが、私にとってこの10万円はきつかったです。
これを教訓に生命保険へ
人間いつどこでどうなるかわからない。生命保険には家族は入っているが、両親のことは考えたことはなかった。
もちろん、父親は生命保険なんて入っておらず、子供の私たちに負担が来た。
私は旦那の母親と私の母親に死亡保険を掛けることにしました。もちろん本人に同意の上です。葬式代諸々の費用がそこでまかなえればいいわけです。死は突然訪れます。そんな時にお金の心配はしたくないし、父が亡くなった時の費用の負担が結構教訓。
そう思った時点で、旦那の母親は80過ぎていました。入れる保険がほぼ無い!探した中であった保険に加入。
死亡時130万 月々の支払いは約9千円。
私の母親は70代で死亡時200万 月々の支払いは8千円(20年支払いしても200万には届きません)
ちょっとした貯金と思って支払っています。
年齢が若いほど、負担の保険料は安く済みます。気づいたの遅かった!
保険相談をするのもいいかもしれません。一つの保険会社に行ってしまうと入らなくてはいけない雰囲気になったりとあると思うので、年齢と保険金額など提示して色々な保険会社のプランを紹介してもらい、検討するのが一番かと思います。
まとめ
死亡検案書が出て記載の死亡内容が「アルコール性肝炎」となっていた父親。昔からお酒が大好きな人であった。大勢の人とワイワイとするのが大好きで、晩年、一人になることが多くなり、お酒の量も自然と増えていったのでしょう。亡くなったと聞いたときは、親孝行も何もできず後悔し号泣した。69歳早すぎるよね。ちゃんとした生活を送っていればまだ生きていたんじゃないかななんて思うこともある。
棺桶に入っているその姿は見れなかったため、死んだ気がしないんだよね。ただ、ただ、月日が流れ、20数年会ってなかったから余計にどこかでまだ生きているんじゃないかって思う。
でも、色々と気づかされたこともあるから、父親の孤独死も無駄では無い。
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