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幾度となく癌を経験、奇抜な眼鏡と髪形で魅了した昭和の女優・塩沢とき

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平成、令和と時代は進む中、テレビというメディアに登場する出演者はたくさんいますが、強烈な個性を持ち独自のキャラクター性を持ったキャラクターは昭和時代に比べて少ない、というか、いないような気がする。

また、そのようなキャラクター芸能人が出てきてほしい。

奇抜な眼鏡と髪形でブレークした塩沢ときさん

塩沢

https://showa-g.org/photos/view/106

一瞬見ただけで記憶に残る、その大きく派手な眼鏡と大きなキノコのような髪形。話す口調は丁寧だが下ネタを平気で話す。それが、お茶の間にウケて大ブレークした塩沢ときさん。

サバサバしていて、明るくなんでもあっけらかんと答えてしまうその人柄が素敵でした。

そんな塩沢ときさんですが、壮絶な病気との連続だったとはしりませんでした。

23歳で女優としてデビュー

東宝ニューフェイス第二期に合格後、三越ファッションショーモデルや映画に出演したが、

女優としてパッとせずなかなか芽が出ずにいたが、ご本人曰く「まだ処女で色気がない」と考えたらしく、当時知り合った23歳年上の会社社長に抱かれることを決めたという。その男性が他の女性と付き合っていることを知りつつ、密かに彼と7年ほど付き合い、その間4回も彼との子を中絶したと雑誌で語っています。

30歳で舌癌を経験

7年ほど付き合った彼ともお別れをした30歳、舌に違和感を感じ病院受診したところ舌癌と診断。

その手術の際に総入れ歯となった。当時の担当医が舌癌の最新医療を学んでいたことで無事に寛解した。

この舌癌については20年以上公表はしなかったそう。

女優として活躍を広げる

1961年の映画「アワモリ君売り出す」でのコミカルな講師役が転機となり、脇役だが、印象に残る個性派女優として大活躍をする。

1980年代からバラエティートーク番組に出演するようになり、その出演に際して自宅の洋服ダンスから一番派手な服を選び、美容院で当時のデヴィ夫人を意識した髪形にしてもらった。当初は控えめだったが、だんだんと大きくなっていったらしいです。ここからあの印象に残る奇抜な眼鏡と髪形が誕生するのですね。

上品な口調でさばさばと下ネタを連発するトークがウケて一躍人気に。

たび重なる病気

1985年塩沢ときさん57歳の時、右乳房にシコリをご自身で発見し、病院にて検査、乳がんであることが発覚。比較的早期だったため、入院し右乳房を切除する手術を行う。

その後もマイペースに仕事をこなすが、1999年71歳で骨粗しょう症を患い5年の治療を経て完治したのもつかの間、今度は左胸に違和感を感じ、右乳房の執刀医を受診したらまた左の乳がんが発覚。初期の癌だったが、左乳房の全摘出手術をして、回復後は元気に仕事に復帰した。

2006年にスキルス性胃がんが見つかり闘病に入る。癌は肺などに転移しており、右肺を切除する手術を受け、一度退院するも新たに転移し再入院。復帰もかなわず都内の病院にて死去されました。

癌という病気に苦しめられた人生

塩沢ときさんは「多重性がん」の体質で癌と戦う人生が人より長かったように思います。常に健康に気を配り、また癌になるんじゃないかという恐怖もあったかと思いますが、常にあっけらかんとした明るさで周囲を笑わせ、奇抜な眼鏡と大きなキノコのような頭の豪快なキャラクターを通し続けた。

プライベートは質素だったらしく、どれだけ人気がでても家賃5万円ほどの借家に住み続けた。

生涯独身であり、親族にも先立たれていたため、最期は担当マネージャーに看取られこの世を去りました。

塩沢ときプロフィール

塩沢とき

https://gendai.media/articles/-/101601?page=3

  • 本名:塩沢 登代路
  • 生年月日:1928年4月1日(79歳没)
  • 出身地:東京
  • 職業:女優
  • 所属:東宝芸能

まとめ

ド派手で豪快、下ネタ連発するその姿からは想像できない闘病が塩沢ときさんには隠されていました。

幾度となく癌と戦い打ち勝ってきた塩沢ときさんですが、最期はスキルス性胃がんという病には勝てず残念でなりません。

生前、塩沢ときさんはご自身で、長野県飯田市内にお墓と観音像を建てています。

終活もきちんとされていたようでときさんらしいですね。

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