MENU
カテゴリー

宅八郎さん昭和にサブカルチャー文化を独特なキャラクターで表現

目次

平成、令和と時代は進む中、テレビというメディアに登場する出演者はたくさんいますが、強烈な個性を持ち独自のキャラクター性を持ったキャラクターは昭和時代に比べて少ない、というか、いないような気がする。

また、そのようなキャラクター芸能人が出てきてほしい。

1990年代に長髪に銀縁眼鏡、マジックハンドとアイドルフィギュア、紙袋を持つスタイルで強烈なインパクト。

「おたく」の先駆けと言われた宅八郎さん。「おたく評論家」として一世風靡した昭和の強烈キャラクターをご存じでしょうか?

  • 本名:矢野 守啓
  • 生年月日:1962年8月19日(57歳没)
  • 出身地:東京都府中市
  • 最終学歴:法政大学社会学部

マジックハンドは宅八郎さんによれば、敬愛するキューブリック監督の映画「博士の異常な愛情」の主人公のストレンジラヴ博士の片手が義手である事へのオマージュと、自分は「オタク」であるが故に直接「三次元」の物は触れられないのでマジックハンドで扱いますという自虐的なパロディ表現を含んだ深い意味が込められていた。

宅さんは、静岡県浜松市生まれ。法政大在学時は漫画研究会に所属し、CM制作会社に入社するが、退社してフリーライターに。日本独特のオタク文化というものの発生に衝撃を受け、それまでも記事を書いていた「週刊SPA!」にて特集記事「『おたく』が世紀末日本を動かす!」にて「オタク評論家 宅八郎」を執筆し、翌年には長髪に銀縁眼鏡、マジックハンドとアイドルフィギュア、紙袋を持つスタイルで「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」や「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」など数々のバラエティー番組に出演し強烈なインパクトを残した方です。

また、アイドルフィギュア(森高千里さん)については宅八郎さんが原型師に特注して作ってもらったらしく、この世に一体しかない極めて精巧に作られた森高千里人形で、マニアの間では現在でも伝説的に語られています。ただ、「森高千里は営業上のファンであって、実際は小泉今日子の大ファンだった」らしいです。

数々の問題を起こして逮捕されることも

1990年、出版関係者と揉め、相手に民事訴訟起こされたり発展する騒ぎがあり、これ以降、宅は「処刑執行人」と称し、「復讐」という名目で、論争相手の個人情報を一般雑誌の紙面で公開するほか、論争相手に対する嫌がらせを自らの連載の中で公表したりする行為をした。

また、田中康夫さんが暴露系雑誌に連載をする際に編集者と揉め、宅さんは田中康夫さんを批判、田中康夫さんもこれに対し宅八郎さんを連載の中で反論、激昂した宅八郎さんは、田中康夫さんの車や自宅の一部を破壊するなどの嫌がらせ行為を行ったため、近隣住人に通報されて警察沙汰になる騒ぎを起こしました。

ある時は、宅の自家用車で駐車場を出る際、隣の車をこすったにも関わらずそのまま走り去ったとして道路交通法違反の容疑で逮捕。

小林よしのりさんと「オウム真理教」への見解の相違などから批判して対立関係となり、その後はお互いの連載上などで激しい論争を繰り返して話題を集めました。

2009年には音楽評論家の四方宏明に、SNS(mixi)において殺害をほのめかす書き込みを行い、書類送検されたが起訴猶予処分に。

ホストクラブに勤務したことも・バンドもしていたことも

2004年には新宿歌舞伎町のホストクラブ「club G」にホストとして勤務しテレビ番組に紹介されたことがあります。数年後には自由出勤(予約指名があったときだけ出勤)という勤務形態となっていた。本人曰く、仕事上酒を大量に飲むことが多くなりそれで体調に異変が生じたとのことで長くは勤務していなかったようです。

また、「ハチロック」というロックバンドで、ボーカル、作詞・作曲を担当したり、「メカヤクザ」名義でDJとしても活動するなど、音楽活動にも精力的であった。

渋谷区長選挙に出馬

告示日前日に届出をし、電撃出馬、宅の出馬は一般紙・スポーツ紙で大きく報じられました。

投票は22日に行われ即日開票された。結果は一期目の桑原敏武・区長が2万7044票(41.1%)を獲得して再選、矢部一が2万0729票(31.5%)、坂井正市が1万2424票(18.9%)、宅八郎が5605票(8.5%)獲得した。

宅は日刊スポーツの取材で「正直これほど票を入れていただき、ありがたい。こういう機会が与えられることがあれば、チャレンジしたい」と語った。

小脳出血にて死去

2020年5月に自宅にて倒れ救急搬送されました。当初は意識もあり会話もできる程度だったが6月に再出血。その後意識不明の状態に陥り、8月11日に死去57歳でした。

訃報の報道がされたのは12月であり、実弟がコメントにて、訃報の公表が死去から4ヵ月遅れだった事に関しては「兄(宅)が近年はテレビ出演をしていなかったためマスコミに公表すべきか躊躇した事」と、宅の生前の「おたくキャラ」時代のイメージや、トラブルを起こしていて世間をお騒がせしていた事から、亡くなった事を公表したらマスコミから宅の事を悪く書かれるのではないかと不安に思った事などを明かしている。

なお、訃報の公表に踏み切った理由は「宅がかつて付き合いが深かった関係者に対して連絡する必要があると考えた事から」と宅の夫人の思いを尊重した結果である事をマスコミに語った。この実弟のコメントから、宅に事実婚関係の妻がいる事も明らかになりました。

まとめ

ENCOUNT
「おたく評論家」宅八郎さん急逝 享年57 晩年はダンディーに変身していた 「おたく評論家」として活躍した宅八郎さんが8月11日に亡くなった。宅さんと生前、交流のあった芸能記者の野島茂朗さんがENCOUNT編集部に追悼文を寄せた。

晩年の宅八郎さん。宅が扮装していた「オタク」の格好は、宅自身の嗜好に基づいて選ばれた服装ではなく、戯画的にオタクを演出するために、あえてダサイ服に着替えていたものであり、本当はお洒落だったそうです。

57歳で急逝してしまいましたが、今も生きていれば新たなカルチャー文化を生み出してくれていたかも知れませんね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

いらっしゃいませ!Strange商店へ
今のトレンドや昭和時代の懐かしい人を置いている商店です。
40代~50代にはしっくりくるのではないでしょうか?
どうぞごゆっくりお過ごしください
まいど!

目次