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「海に帰る」たこ八郎さん・昭和の思い出深いキャラクター芸能人

平成、令和と時代は進む中、テレビというメディアに登場する出演者はたくさんいますが、強烈な個性を持ち独自のキャラクター性を持ったキャラクターは昭和時代に比べて少ない、というか、いないような気がする。

また、そのようなキャラクター芸能人が出てきてほしい。

目次
たこ八郎さん

https://www.daily.co.jp/gossip/2018/05/30/0011307637.shtml

いつも酩酊状態な表情と身振りで「たっこでーす!」とご自身で明るく答える決め台詞でお茶の間の人気者でしたたこ八郎さんご存じでしょうか?

また、前髪の中央部だけ少し伸ばした髪形がトレードマークで懐かしいと思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

たこ八郎さんは何物か?

たこ八郎さん

https://showa-g.org/photos/view/977

  • 本名:斉藤清作
  • 生年月日:1940年11月23日(44歳没)
  • 出身地:宮城県仙台市

1962年に第13回日本フライ級王者チャンピオンに輝いたプロボクサーであります。

たこ八郎さんは少年時代に友達と泥んこの投げ合いをして、泥が左目に当たったことが原因で左目の視力ほとんど失っています。もともとそんなハンデがある状態ですが、プロボクサーになり、チャンピオンになるとはすごい実力ですよね。

その、プロボクサーになるテストですが、左目が見えないことを申告せずに視力検査票を丸暗記してプロテストに合格したそう!

右耳の三分の一が欠損していますが、これは飲み屋で客と喧嘩になり、右耳を噛まれたため欠損したらしく、ボクシングでの怪我ではないそう。

また、ボクサー時代に受けた頭部へのダメージ蓄積により、パンチドランカー(慢性外傷性脳症:頭部への衝撃から生じる脳震盪などの脳への反復する障害が原因となり、脳変性による認知症に似た症状をもつ進行性の脳症をきたす神経変性疾患)になりプロボクサー引退をされました。

その後、コメディアン・俳優として活躍しました。

その強烈なキャラクターを活かしたバラエティー出演

ボクサー引退後、コメディアン由利徹に弟子入りし、劇場やキャバレーに出演し、映画などにも出演していくうちに、コメディアンとして大ブレーク。

たこ八郎さんという彼のつかみギャグ「たっこでーす」という単なる自己紹介で言っているだけの言葉ですが、彼の独特な雰囲気と唯一無二の存在感は昭和時代のお茶の間には大いにウケたのでしょう。

出てくるだけで笑いを誘う特異なキャラクターはそうそういません。

大ブレーク中での突然の死

1985年当時、コメディアンとして大ブレーク中で、たこ八郎さんはタモリさんの「笑っていいとも!」の火曜日レギュラーを務めていました。この火曜日の出演の翌日に前々から約束をしていた友人たちと一緒に海水浴へ神奈川県足柄下郡真鶴町の岩海水浴場を訪れる。

お酒が大好きだった、たこ八郎さんこの時も前日から飲酒をしていたそう。

たこさんが「ちょっと泳ごうかな」と言ったので、一緒に友人と海に入り沖まで行き、戻ろうと引き返し友人が足がつくとこまで戻った際にたこさんがいないことに気づき、振り返ると沖のブイ近くでうつ伏せに浮いているのを発見し、仲間に引き上げられたのですが、亡くなられたそうです。

死因は心臓麻痺、44歳でした。

この訃報は、当時たこ八郎さんがレギュラー出演をしていた「笑っていいとも!」の放送中にタモリさんによって全国に伝えられました。

スポーツ紙には「たこ・海に帰る」と見出しが躍った。

まとめ

昭和の異色のキャラクターたこ八郎さん、バラエティーに出演すれば出てくるだけで笑いを起こす強烈キャラクターであり、憎めない愛らしいそんな存在でした。

パンチドランカーでお酒はあまり良くないと言われていたにもかかわらず飲酒してしまうくらいお酒好きで、お酒を飲んで海水浴してしまったのがいけなかったんじゃないかとも言われていました。

人気絶頂、44歳の早すぎる突然の他界に当時は驚きました。

こんなに強烈な個性を持った方はなかなか現れないのではないでしょうか?

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この記事を書いた人

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